罔殆庵

染井吉野ナンシーの官能世界

かつて瑠璃廠で水煙管を買いました!

今日、6月28日はアヘン戦争勃発の日、ということになっていますが、この手の歴史的な出来事は始まりも終わりも明確な日付を特定しづらいものですよね。戦争が起こるにしたって、それに至る複雑な経緯があるわけですし。

アヘン戦争と聞くと、確かに当時の清朝の腐敗ぶりもひどかったですが、それに付け入る英国がアヘンを売り込むなんて最低です。ふつうの産品の貿易を迫るというのであれば理解できますが、その害悪が明らかな薬物を、なおかつ禁制品を売りつけるなんて……

まあ、そのあたりのことは陳舜臣実録アヘン戦争』を読んでいただくとして、これを小説仕立てにしたのが『阿片戦争』ですので、ご興味がある方はどうぞ。

そして、アヘンと言って思い出されるのは、学生時代に友人と北京へ一週間ほど行った折、その友人が瑠璃廠でアヘン吸引用の水煙管を買ったことです。もちろんお土産屋で売っていたものですから、当時のものではなくレプリカでしょうし、実際にアヘンを吸うためではありません。部屋に飾っておこうという単なる遊び心です。たぶん、今でも売っているでしょうね、土産品として。

そう言えば、アヘンと言ってもう一つ思い出されるのは、やはり学生時代の恩師の話です。

恩師は戦時中は中国大陸にいたのですが、アヘンを吸ったことがあるそうです。たぶん軍隊にいたときに仲間内で面白半分にやってみたのでしょう。でもそれを聞かされたあたしたち学生は「先生、中毒にならなかったのですか?」と聞かずにはいられませんでした。

すると、恩師曰く、「中毒になるほど金がなかった」とのこと。そうか、やはりアヘンを手に入れるにはそれなりのお金が必要だったのですね。貧乏な一兵卒では中毒になりたくてもアヘンを買えなかったというわけですか……

さて、瑠璃廠が今どうなっているのか知りません。なにせもう大陸には10年以上行っていないので(汗)。ただ、その十数年前に行ったころの北京のタクシーの話です。もしかしたら、このエピソードはどこかで書いたかもしれません。既に聞いた(読んだ)ことがあるという人にはご寛恕を。

で、そのエピソードですが、その日は盧溝橋へ行っていました。抗日博物館などを見て、流しのタクシーを拾って北京市街へ戻るところでした。「瑠璃廠」は中国語で発音すると「ルーリーチャン」という感じの発音になります。しかし、あたしの発音が悪かったのか、タクシーの運ちゃんは「ルーリーチャンならもう通りすぎたぞ」と言うのです。何度かやりとりをしても埒が明かず、ウンちゃんは路肩にクルマを止めてしまいました。

あたしはその時点で理解していたのですが、運ちゃんが言っている通りすぎた「ルーリーチャン(liulichang)」とは、北京市街と盧溝橋の途中にある「六里橋」のことです。こちらの発音は「リウリチアオ(liuliqiao)」です。違うといえばまるっきり違うのですが、似ているといえば非常によく似た発音です。路肩に止めた運ちゃんに持っていた北京市街の地図を示して自分たちが行きたいのはここだと「瑠璃廠」を指さして伝えたところ、運ちゃんは笑いながら明るく「明白了」と言って車を発進させました。

ちなみに、あたしがなぜ理解できていたかと言えば、盧溝橋への往路は公共バスで行ったのですが、車窓から外を眺めていて「六里橋」という地名が目に入り、なんとなく覚えてしまっていたからです。初めての土地へ行くと、目に入った地名とか建物、施設などを覚えていて、あとから地図でどの道を通ったのかをたどることをよくしていたので、たぶんその延長で地名が頭に入っていたのだと思います。