罔殆庵

染井吉野ナンシーの官能世界

東と西

タイトルを見て、東西冷戦やベルリンの壁を予想された方もいらっしゃるでしょうか? 申し訳ありませんが、全然違います。

画像は昨日の朝日新聞の夕刊です。東京ローカルな話題です。

世界一と言ってもよい乗降客数を誇る東京の新宿駅に、東西自由通路ができるというニュースです。

「えっ、今までなかったっけ?」という感想を持たれる方もいらっしゃるでしょうね。新宿を使い慣れている方であれば、記事中にあるように駅北寄りのサブナード、南口のルミネ、更に南のサザンテラスと、新宿の東口と西口を結ぶ通路、なくはなかったわけですから。しかし、真ん中に、一番の最短経路では東と西は結ばれていなかったのも事実です。

多くの人は切符を買って新宿へ来るので、改札口を選びますが、切符さえ持っていれば東口だろうと西口だろうと出ることはできましたし、定期を持っている人であれば改札を抜けて東から西へ、西から東へ抜けることもしていたでしょう。でも、使いづらかったのは確かです。

そんな新宿に東西通路ができるのは嬉しい知らせです。ただ、記事にあるように、東京の他の地区に比べて出遅れているというのは違うと思います。だって、これだけ不便と言われていたって、他の地区よりも新宿は常に人が多い場所でしたから。不便だって来てしまう、来ざるを得ない、そんな場所なのです、新宿って。

でも、東と西が抜けづらいという意見もわかります。かつて書いたかもしれませんが、あたしが大学までは杉並に住んでいまして、新宿へはよく来ていました。京王線で新宿へ出てくるわけですが、京王線の新宿は言うまでもなく西口側にあります。当時ですと、小田急百貨店の上にあった三省堂書店には時々来ていましたけど、東口の紀伊国屋書店には、ほぼ行ったことがない学生時代でした。だって、当時の必要性から考えて、紀伊国屋へは行かなくても問題なかったですから。

ただ、もし紀伊国屋書店が西口側にあったら、あるいは京王線の新宿が東口側にあったらどうだったでしょうね? 新宿へ行ったときには必ず紀伊国屋へ寄っていたかもしれません。本と本屋は昔から好きでしたから。となると、やはり新宿壁の東西の通り抜けの不便さが、西から東へ、東から西へ行く人のモチベーションを削いでいたのかも知れません。