罔殆庵

染井吉野ナンシーの官能世界

わが家の書架には、こういう一角もあるのです

先日『日向坂46写真集 日向撮 VOL.01』を入手しましたので、ひととおり眺め終わった後、自宅の書架に並べました。それがこの写真です。

乃木坂46も、『乃木坂46写真集 乃木撮 VOL.01』が発売された時に「Vol.1」とあって、いずれ「Vol.2」が出るのかなと期待せずにいたところ、しっかり『乃木坂46写真集 乃木撮 VOL.02』が発売になりました。となると、今回「Vol.1」を名乗っている日向坂46も「Vol.2」がいずれ発売になるのでしょうね。それに乃木坂46だって「Vol.3」の可能性があるのでは?

個人的には、今となってはもう遅いですが欅坂46にも出してもらいたかったです。櫻坂46に期待しますかね。とはいえ、そのためにはまずは毎週の連載からスタートしないとなりませんから、しばらくは先になりそうです。

「撮」こそ出ていないものの、『別冊カドカワ』は欅坂が2冊出ていますし、『QuickJapan』も欅坂で2冊出ているのですね。『別冊カドカワ』の乃木坂46は当初から4冊出す予定だったようですが、デビュー間もないころの『季刊乃木坂』を思い出します。

ところで、『別冊カドカワ』で日向坂46の特集号は発売になるのでしょうか? それが気になります。購入していませんが、欅坂は櫻坂になるタイミングで『別冊カドカワ 総力特集 欅坂46/櫻坂46』が出ていますので……

待っている人がいるから……

このゴールデンウィーク、あたしの勤務先は暦どおりです。特に時短営業をするとか、休業にするとか、そういう措置は執らず、各自で休みたければ有給休暇を取ってください、というスタンスです。危機管理、感染防止の観点からそれはどうなのか、という意見もあるかも知れませんが、それはほとんどの企業に言えることであり、あたしの勤務先が特別ブラックだとは思いません。

年間5日は有給休暇を消化するように法律が変わったので、この機会に少しでも消化が進むようにと思っているの面はあるかも知れませんが、現状ではどれだけ取得が進むのか、個人的には疑問です。

さて、これは多くのサラリーマンには理解してもらえると思いますが、休みが続くと、その前後は仕事がたまるので、むしろ休めなくなる、休暇が取りづらくなるものです。もちろん、他の人に仕事を代わってもらったり肩代わりしてもらって休みを取ることもできなくはないですが、やはり多くの人は遠慮がちになり、自分の仕事は自分が出社してやらなければと考えてしまいがちです。

それならリモートワークは、と言われそうですね。なんで出社するのかと言えば、出勤しなければできないことが多いからです。

あたしの勤務先で言いますと、毎日毎日の出荷があります。これがなくなると売り上げダウンですから死活問題、ここを止めるわけにはいきません。データではなくモノを扱っている業種はどこも同じでしょう。

でも大手企業などはゴールデンウィークはまるまる休みにして、その間の受注は連休明けの出荷になりますと宣言しているところもあります。あたしの勤務先だって覚悟を決めて、そうすることも可能なはずだと思います。

ただその一方で、大学の語学テキストの注文、特に授業が始まってすぐにでも手に入れたい学生さんからの注文にはできるだけ迅速に答えてあげたいとも思います。本来なら、よほどのことがない限り大学内の書店に授業用のテキストは必要な数が置いてあり、そこで買えばよいわけですが、昨年に引き続きリモートでの受講となった学校も多いようで、そうなるとテキストを買いに大学へ行くこともできません。大学によっては、学生ごとの履修状況に応じて、学生の個人宅へテキストを配送するサービスを行なっているところもあるようですが、自分で本屋に買いに行かせる大学もあるようなので、そうなると学生は焦ってしまうでしょう。

語学テキストの場合だけなのか、あるいは他の教科でも多いのかわかりませんが、あたしが感じるのは、大学生協や本屋を通すのではなく、先生自身が教科書を学生の人数分、直接うちへ注文してくるケースが意外と多いなあということです。そうなると戦線自身が授業で集金して振り込みなどをしなければならないので、それなりに面倒だと思うのですが、そういう先生が少なからずいます。

ただし、これは対面授業が行なわれるという前提でのことであり、リモートになれば教科書を配ることもできなければテキスト代を集金することもできません。そうなると先生としては「ネットか近所の本屋で買ってきて」ということになり、焦った学生さんからの注文が増えることになるのだと思います。

早いところ、すべて電子教科書に置き換われば、こういう問題は解消されるのでしょうが、電子教科書の教育効果って実際のところどうなのでしょうね?

過去二番目の少なさと昨年の二倍

明日からのゴールデンウィーク

新幹線の予約状況を、テレビの情報番組が伝えていましたけど、その表現にちょっと戸惑いを感じます。

もとより緊急事態宣言が発令中で、人流を抑えようという訴えかけが出ていますから、ガラガラなのは承知していますが、それでもテレビでは「昨年の二倍の予約状況」と伝えていました。

なんか、これではかなり増えたみたいな印象を与えませんか?

とはいえ、実態としては昨年に次いで過去二番目の少なさなのだそうです。よく聞けば理解できますが、画面に出ている字幕とか、最初にどう伝えるのかによって印象がガラリと変わるものです。

自衛手段?

東京など四都府県に緊急事態宣言が発令され、昨日が最初の平日だったわけですが、いつもどおり早朝に出勤し、先週の注文書と朝のファクスを処理すると、勤務先滞在一時間ほどであたしは帰宅しました。

あたしの勤務先、役員も含め社員は三十数名いますが、同じフロアで働く営業・宣伝部は十二名です。時差出勤も認められていますが、お昼前後はほぼ全員に近い人数が出勤しています。このところは平均すると毎日一名あるいは二名が在宅勤務しているような状態で、逆に言えば毎日十名ほどが出勤していることになり、「出勤を三割に」というお上の要請には全く沿っていない状況です。

さすがに緊急事態宣言ともなると少しは変わるかと思いきや、朝の電車、昨日はいつもより混んでいる気がしました。いつもの時間を避けて、早い時間にシフトした人がそれなりにいたのではないでしょうか。そんな気がします。

こうなると、八十手前の高齢の母を抱えるあたしとしては自衛手段として、在宅勤務を増やすしかありません。昨日、そして本日は在宅勤務をすることにしました。都内も多くの書店が休業になり、やっていたとしても非常事態宣言下では訪問営業も憚られます。だったら自宅でできることをしようと思うわけです。

それにしても、なんでサラリーマンはあんなに会社へ向かおうとするのでしょう? ネットの意見にありましたが、政府や都知事がどんなに個人に呼びかけても、会社として指示を出してくれないと多くのサラリーマンは判断できないのですよね。政府や知事は個人にではなく、会社・事業主に圧力をかけないとテレワークは進まないと思います。

もちろん数名でやっている零細なところはテレワークは出勤三割は厳しいかも知れませんし、業種によっては出勤しないと仕事にならないものもあるでしょうけれど。

今日の配本(21/04/26)

権威主義の誘惑 民主政治の黄昏

アン・アプルボーム 著/三浦元博 訳

米国のトランプ政権下で進んだ民主政治の衰退と権威主義の台頭、イギリスのジョンソン首相とブレグジットポーランドの「法と正義」のカチンスキハンガリーの「フィデス」のオルバーンといった元首の登場、ドイツ・フランス・スペインにおける極右政党の躍進……これらは同じ時代の土壌から生まれたものだと理解できるが、この世界的な現象の根底には何があるのか。 本書は『グラーグ:ソ連集中収容所の歴史』で〈ピュリツァー賞〉を受賞した歴史家・ジャーナリストが、かつて交流があった「リベラル派」の人々の変貌ぶりに驚き、何が彼らを変えてしまったのかを起点に論考する、思索的エッセイだ。

とりあえず、あたしは食べ続けます

はじめての動物倫理学』読了。

ペットの多頭飼育とか、そういった動物虐待を扱う本なのかと思いましたら、ちょっと違いました。よくよく見ると、オビに端的に本書のメインテーマが書いてありましたね。

さて肉食です。

あたしはベジタリアンでもなければ、極めて狭いですが自分の周囲を見回してみてもベジタリアンだという人はいません。ただ、世間には多くのベジタリアンがいるということは承知しています。

そういう人たちを非難するつもりは毛頭ありませんし、それはそれでその人の考え方ですから尊重します。ただ、肉食をやめろと押しつけられると、まだまだ反発を覚えてしまうところもあるのが正直なところです。

動物を食べるのは残酷だと言われても、生態系には食物連鎖というものがありますし、肉食動物をすべて地球上から撲滅させることはできません。そうなると人間だけが肉食を絶つ理由が揺らぐような気がします。それに、もう数十年も前にベジタリアンという言葉を最初に知ったころに思ったのですが、動物は食べないのに植物は食べてもよいというのは生物に対して不公平ではないか、という疑問です。

もちろん植物など(昆虫も含まれるのでしょうか?)には感情がなく、痛みを感じることがないから食べても残酷ではない、ということのようですが、感情がないとか痛みを感じないとどうして言えるのでしょう。それは人間の科学が解明できていないだけかも知れませんよね。

などなど疑問に思うことはあるのですが、本書に書かれている動物実験とか非常に劣悪な家畜の飼育環境などは何とかできないものかと感じました。前者はかなりの部分、現在の科学では置き換えることができるようですが、家畜飼育はどうでしょう。著者が言うように肉食をやめればよいというのは理想ではありますが、どう考えても実現するとは思えません。

家畜の飼育環境を少しでも快適なものにすればよいのでしょうか。しかしどうせ殺してしまうのに、安楽な生を送らせる方が却って残酷ではないか、という意見もあるでしょう。結局は人間の都合で殺してしまうわけですから、難しいところです。

そう言えば、もう亡くなっていますが母方の伯父は農家で、自宅で牛を飼っていたので、牛肉は一切口にしなかったと言います。飼っている牛を食べるわけではないのに、やはり情が移るのでしょうか。それでも鶏や豚は食べていたわけですから、人間って勝手だとも言えます。

かつて「ブタがいた教室」という映画がありましたが、肉食断ちを強制するのではなく、こういう教育を広く行なって、とにかく考えてもらうのがまずは第一なのではないかと思いました。