罔殆庵

染井吉野ナンシーの官能世界

辛い、です。「普通」って何でしょう?

娘について』読了。

 

亜紀書房がスタートさせた《となりの国のものがたり》シリーズ、第一作の『フィフティ・ピープル』がさまざまな人間模様を描きつつ、そこに人生の悲喜こもごもがあふれていて、「うんうん、そうだね」と相槌を打ちながら読めたのに対し、本作は読み進めるのが辛かったです。

ストーリーは初老の女性の独白で進みます。若い頃は教師をしていて、恐らく結婚後娘を育てるために退職し、夫を亡くした後は老人ホームへ派遣されて働いています。そんな一人暮らしの彼女の元へ金銭的に窮乏した娘が戻ってきます。娘は大学院まで出て、現在は大学の非常勤講師をしています。

いい歳をして結婚もしていない娘が戻ってきたというだけでも世間に対して恥ずかしく感じる母親でしたが、それだけではなく、娘はパートナーを連れて戻ってきたのです。そのパートナーとは女性。つまり娘は同性愛者だったのです。

自分の子育ては、どこをどう間違えてしまったのだろうと悩みつつ、娘やそのパートナーに文句を言いつつもすべては言えずに飲み込む母親。一方で、勤め先の老人ホームでは、経費節約の名の下に人間の尊厳も顧みられないような介護の現実が横たわります。いや、そんなのはとても介護と呼べるようなものではなく、自分が担当する老婆の最後くらいは尊厳を持って旅立たせたいと思う母親は、自宅でも職場でも八方塞がりの状況です。

そして、娘は同じく同性愛者の同僚が学校から不当に解雇されたことに対する抗議行動を起こし、集会で反対者の暴力を受け大けがを負います。世間の常識から判断すれば自分も娘を糾弾し責め立てる反対者側に立っているものの、その一方では娘たちが責め立てられている現場では必死で娘を助けたいと願う母の立場。

とにかく主人公は、どうしたらよいのか、この先どうなっていくのか、わからないし、考えられないし、判断もできない、ごくごく普通の人です。今の時代、同性愛にももっと理解の目を向けるべきでしょうが、現実にはこの母親のような感覚が一般的であり、まだまだ「普通」なのだと思います。しかし、娘を前にして自分の「普通」が危機にさらされ、そして世間の目も、近所の手前も気になる主人公。

皮肉なのは、娘に対して「結婚して子供を作れ、あんな相手とは家庭は作れない」と責めるのに、老人ホームで世話をしている老婆を悲惨な状態から助けたいと思った時には逆に「あなたはこの方とは家族ではないから」と施設側から拒絶されるところです。家族って何なのでしょう?

その解を著者は読者に委ねたまま、本作は幕を下ろします。