罔殆庵

染井吉野ナンシーの官能世界

外国語対応だけで済むのでしょうか?

今朝の朝日新聞にこんな記事が載っていました。

自然災害によって駅や空港などがパニックになったときに、日本語以外の言語でどれだけスムーズに外国の方へ情報を伝達できるか、これからの日本にとっては大きな課題だと思います。

日常的な掲示・案内板であれば、既に英語の他に中国語や韓国語が併記されているものをしばしば見かけます。電車やバスのディスプレイなども中国語やハングルでも表示されています。さまざまなウェブサイトも英語版を用意してあるのは当たり前、中国語や韓国語だけでなく、基本的な情報はスペイン語やドイツ語、フランス語、タイ語などで表示しているところもあります。

しかし、このニュースを読んでいて思いました。情報がうまく入手できないのは外国の方だけでしょうか? 目が見えない人はわかりやすいかも知れませんが、耳が聞こえない方とかさまざまな障害を持った方も健常者と同じように情報を受け取れるとは限りません。

最近『手話通訳者になろう』という本があたしの勤務先から出たので、コミュニケーションという点から見れば手話を必要としている方も外国語の通訳を必要としている方も同じなんだと思うようになりまして、こういうことを考えてしまいました。

もう一つ、朝日新聞の投書欄。

ちょっと前に、図書館で借りた本を返したら、自分が汚したものではないのに疑われたという投書があり、それに対する反応が載っていました。これについては、やはり借りるときにきちんと確認するのが自己防衛策としてはやむを得ないと思います。しかし、そもそも自分で借りているときに、本を汚してしまったら返すときに正直に言うべきではないでしょうか? 自分のものではないと、扱いが雑になるのでしょうか?

それでも時々、あたしの勤務先にも「図書館の本を汚してしまったので買って弁償したいのですが」という電話が掛かってきます。たいていは既に品切れになっている古い本で、一般書店では入手困難なものばかりで、こちらも申し訳なく思ってしまいます。