罔殆庵

染井吉野ナンシーの官能世界

カバーのイメージ

近刊の『房思琪の初恋の楽園』のカバー、どう思われますか?

下に貼ったリンクのイメージには帯がありませんので、公式サイトのイメージを見ていただくと帯も入っています。そこには

先生、わたしのこと愛してる?

とあります。内容紹介には「美しい房思琪は、13歳のとき、下の階に住む憧れの五十代の国語教師に作文を見てあげると誘われ、部屋に行くと強姦される。」とありますから、どんな作品なのかはおよそ類推が着くと思いますが、邦訳版のカバーは作品を読んでから、あるいは半ばまで読んだ上で眺めると、非常に象徴的なものになっています。

もしあたしがこの作品を編集者として担当していたら、日本人ならおおた慶文、中国人なら平凡&陳淑芬の描く美少女のイラストを使ったのではないかと思います。そんなイメージを抱きながら読んでいました。主人公が可憐な美少女であればあるほど、この作品の苦しさ、読後感のモヤモヤした感じが表わせるのではないかと思うのです。ちなみに原書はこんな装丁です。

本作、原書が出てからも反響が大きく、既に翻訳者である泉京鹿さんが朝日新聞のGLOBEで紹介されていました。泉さんもこの中で

性的虐待、性暴力被害に女性たちが声をあげた「#MeToo」の世界的なムーブメントがもう少し早く起こっていたら、著者の林奕含は命を絶つこともなかったかもしれない。現在、筆者が翻訳中だが、読んでいるだけでも苦しい。気が付くと、息をするのを忘れている。

と書かれていますが、短絡的に#MeTooフェミニズムに結びつけるのでなく、もっとさまざまな角度から読み解ける作品ではないかと思います。たとえば、一定年齢以上の男性であれば自分が「李国華」だったとしたら。思春期の男子なら自分の彼女が房思琪だったら、あるいは房思琪がクラスメートで彼女のことを好きになっていたら。女性なら、もちろん房思琪に重ね合わせて読むこともできるでしょうが、親友の劉怡婷や同じマンションに住む許伊紋の立場だったら。そして彼女たちの父親、母親だったとしたら。

本書が実話に基づいていると作者が書いているその実話が作者自身に起こったことであるか否かは別として、事実ではなくとも何かしらの真実を伝えていると感じられる作品です。