罔殆庵

染井吉野ナンシーの官能世界

校則が思い出せません

新聞やテレビでも、都立高校のブラック校則を見直すことになったというニュースを大きく取り上げています。

この「ブラック校則」という言葉、あたしが学生のころには存在しなかった言葉です。こういう事例がなかったとは言いませんが、たぶんあたしたちの時代は「校則が厳しい」と表現していたのだと思います。もちろん、あたしの時代から数十年も経っていますので、あたしの卒業後にますます校則がおかしな方向へ行ってしまったのかも知れませんが。

さて、あたしは都立高校の出身ですが、意識させられるような校則はなかったというのが正直なところです。あたしの通っていた高校は自由な校風で知られ、髪を染めている人やパーマをかけている人もいました。まあ、時代が時代なので、染めると言うよりは脱色しているという方が正しいですが。女子も化粧をしている子がいましたけど、だからといって先生に取り立てて注意されていることはなかったと思います。

制服もなく、みんな自由な服装で登校していました。冬になると寒がりな女子はズボンを穿いてくる子もいたくらいです。ちなみに、私服の高校で、あたしは一時期あえて学生服(詰め襟)を着ていました。それも「チューラン」と呼ばれる、襟が少し高くて、丈もやや長めのものです。別に不良を気取っていたわけではありませんが。

むしろ校則が異様だったのは通っていた公立の中学の方です。いや、校則だったのか今となっては思い出せませんが、制服の既定がおかしかったのです。その公立の中学校、男子は学ランなのですが、女子は全くの私服でした。

どうしてそんなことになったのかわかりませんが、男子だけ学ランを着ているという、かなり異様な光景が日常でした。しかし、だからといって男子から文句が出るようなこともなかったと記憶しています。今はどうなっているのでしょうか?

いずれにせよ、校則を気にすることなく中学高校時代を過ごすことができたのは幸せだったと思います。