罔殆庵

染井吉野ナンシーの官能世界

公子・重耳を思い出しました

昨日書いたあばら骨の痛み、相変わらずです。

折れているのかいないのか、病院へ行けばよいのでしょうが、結局さらしを巻くくらいしか療法はなさそうなので、無理をせず安静に努めたいと思います。

ところで、あばら骨で思い出したのは、中国の春秋戦国時代の人物、公子・重耳です。彼はあばら骨が「一枚あばら」だったと言われています。「一枚あばら」って何かと言えば、あたしも詳しいわけではありませんが、決してあばら骨が繋がっているわけではなく、ましてや板状になっているわけではなく、実際のところはあばら骨の一本一本が太いため、すき間が少なく、まるであばら骨が繋がって一枚になっているようなことから言われているそうです。

そんな人っているのかなあ、と思いますが、「一枚あばら」で検索すると、この重耳ではなく伝説の関取、雷電為右衛門の名前が出て来ます。どうやら彼も一枚あばらの持ち主だったようです。たぶん、日本人にとっては、一枚あばらと聞けば雷電を思い出すのでしょう。あたしのように公子・重耳を思い出すのは中国史かぶれの人ばかりでしょう。

ちなみに、公子・重耳は後の晋の文公で、春秋五覇の一人です。長い流浪生活の後に即位して国をよく治めた人として中国古代史では有名な人物です。斉の桓公と共に斉桓晋文などとも呼ばれています。