罔殆庵

染井吉野ナンシーの官能世界

孔子はそんなこと思ってもいないことでしょう

今朝の朝日新聞です。

日本にある孔子廟に土地を無償で提供しているのは政教分離違反なのか否かを争う裁判が行なわれているようです。

この数年、日本国内の反中、嫌中感情が高まっていて、国内の孔子学院は中国共産党のスパイ養成機関だ、といった声を受け各地で反対運動も起きているようです。なんとなく孔子廟問題にもそんなバックボーンが影響しているのではないかという気もします。

裁判のゆくえはともかく、儒教が宗教なのかと問われると難しいですね。まず思い出されるのは、刊行当時も賛否両論渦巻きましたが、『儒教とは何か』です。あたしはちょうど中国思想を学ぶ大学生でしたが、研究室でも大いに話題になったのを覚えています。

同書で著者は儒教は宗教だと主張していたはずですが、その他にも「儒仏道三教」という言葉あるように、この三つを宗教と捉えている見方はあるみたいです。ただ、その場合の宗教の定義ってなんなのでしょう?

裁判で争われるのは、恐らく宗教法人としての宗教の定義に当てはまるか否かだと思うのですが、そうなると孔子廟ってどうなのでしょう? 各地の孔子廟では漢文講座などが開かれていますけど、そこに学びに来ている人が信徒だとも思えませんし、宗教行為を行なっているような感じもしないんですけどね。

そもそも孔子自身は、自分の教えを思想だとも宗教だとも考えていなかったでしょうね。なにせ、その当時にあっては宗教なんて言葉は存在しなかったはずですから。