『漢和辞典に訊け!』読了。
漢和辞典は漢字の辞典です。ただ、そう考えてしまうと日本語の辞典の一種だと思いがちです。
でも、英和辞典、独和辞典、仏和辞典というように考えれば、漢和辞典も「漢」を日本語に置き換える外国語の辞典です。「漢」とは何かと言えば中国語、それも古典時代の中国語です。
上下本の『トウ小平秘録』読了。
本書は、トウ小平の評伝とはいえ、記述が年代順ではなく、1989年の天安門事件を軸に説き起こされています。ですので、まず中国の現代史の流れがおおよそ頭に入っていないと、わかりにくいところがあるかもしれません。新聞連載だったからこそのやり方ですが、果たしてこういう単行本になった場合にどうなのでしょう? 私はあまり気にせずに読めましたが。
というような理由からかどうなのかわかりませんが、上巻に比べて下巻の方があっさりしている印象を受けます。毛沢東や周恩来に比べて、つい少し前まで生きていた人物ですから、資料も豊富で取り立てて目新しい地検というのは少ないです。それに、まだまだおおっぴらにできないこともあるでしょう。それらを勘案しますと、個人的にはもう少し、胡耀邦や趙紫陽とのかかわりを突っ込んで書いて欲しかったと思います。
それにしても、蠟小平にとって共産主義って何だったのでしょう? あれだけの大きな国をまとめて行くには、それが共産党である必然性はともかく、なんらかの独裁権力がないとすぐに立ちゆかなくなってしまう、トウ小平はそう思っていたのではないでしょうか。たぶん毛沢東も周恩来もそうだったと思います。胡耀邦や趙紫陽、胡錦涛はどうなんでしょうね。興味深いです。
『伝説の日中文化サロン上海・内山書店』読了。
内山書店と言えば、まずあたしの世代では神田神保町、すずらん通りにある中国書籍専門店です。あたしが学生時代は現在の建物ではなく、二階の売り場で本を見ているとおばあちゃんがお茶を出してくれました。はす向かいの東方書店は思想、歴史関係が充実していて、内山書店は文学が充実している、という印象がありました。
さて本書は、その内山書店の前身、上海の日本租界にあった内山書店の歴史、そしてそこに集った日中の文化人の交流・友情の模様を描いています。その中心にいたのが店主・内山完造、そしてその夫人。彼らは商売人であるにもかかわらず、いずれ自分たちに返ってくるという信念のもと、全く商売にならないようなやり方で本屋を営みます。
それは、日本人も中国人も区別しない、右よりの人間も左よりの人間も区別しない、ただ困っている人がいればできる限りの援助の手を差し伸べる、という態度です。そして、その行為がしっかりと中国人の心にも届いてたという事実は、昨今の日中関係を見たときに非常に示唆的です。
『ガイサンシーとその姉妹たち』読了。
中国で旧日本軍がレイプや虐殺などを行なっていたということは知っています。そのようなことは決してなかったと言う旧軍人の証言もありますが、そういうことをしなかった人もいるでしょうから,それを否定するつもりはありません。ただ、普通に考えれば、日本軍でなくとも,古今東西、戦争において攻めている側は攻められている側をなぶりものにした例には事欠かず、日本軍だって同じだったと思います。
たまたま勇気を持って告発する女性が山西省に多かったということで,山西省における被害の実態は本書によってかなり明らかになったと思います.そのほか、日本軍が駐留、進駐した地域では多かれ少なかれこうした被害、事実はあったのだろうと容易に想像できます。
個人的には、そうした日本人のひどい行ないの影に見え隠れする中国人の姿が印象的です。彼らも自分が生きるためにはやむを得なかったとは思いますが、自分の妻や娘を敵軍に差し出すときの気持ちはどんなものだったのでしょう? そういう人たちを告発や譴責するのではなく、素直に当時の心境を聞いてみたいと思います。
紫禁城の案内と、各宮殿・建物にまつわる清朝の歴史を紹介している本です。現存する紫禁城にスポットを当てているため、元明の頃の紫禁城については触れられていませんが、それはサブタイトルでも明らか。
また、資料が多く残っているためか、どうしても西太后時代とそれ以降の比率が高くなっている感がありますね。
紫禁城(現故宮博物院)を歩くとき、この本を読んだ後では印象が変わるかと言えば、あたしのように中国史を専門にやってきた人間には疑問符ですが、そうでない方にはどうでしょう? そこで営まれたドロドロとした、生の生活が垣間見られて面白いと思える方もいるのではないでしょうか? この手の清朝秘史的な本は他にもありますが、手頃さでは一番だと思います。
各章の初めに、その章の舞台となる紫禁城の詳細図が載っているのは便利ですが、全体図で指名している区域と拡大図の区域が微妙に合っていないのは如何でしょうか? それに、拡大図を載せるのであれば、本文中で触れた建物はすべてその図に入れてもらいたいところですが、それも中途半端に終わっています。