罔殆庵

染井吉野ナンシーの官能世界

「ぎぶ」とは「GIVE」ではなく「魏武」のことです

講談社学術文庫から『魏武注孫子』が刊行されたので、当然のことながら購入しました。学術文庫では既に『孫子』が刊行されていますが、あえて「魏武注」にスポットをあてて一冊出すなんて、すごいです。

ちなみに『孫子』は、中国古典の中では『論語』『老子』に次いで知名度が高い作品だと思うので邦訳も何種類か刊行されています。そこで、架蔵している文庫版の邦訳を並べてみたのが一枚目の写真です。ちなみにこれらの邦訳、いまも版元在庫があるのかわかりません。

左上が中公文庫、その右の二冊はどちらも岩波文庫です。右下は講談社文庫、その左の二冊が今回話題にしている講談社学術文庫の二点です。単行本も加えたら『孫子』の邦訳はあと何種類かあると思いますが、さすがにすべては追い切れないので、架蔵しているのはこんなところです。

ところで、このダイアリーを読んでくださっている方の大部分には説明不要かと思いますが、ここまで何回か登場している「魏武」とは魏の武帝、つまり三国志曹操のことです。長い長い中国史の中でもトップクラスの戦術家・戦略家でもある曹操は『孫子』を常に傍らに置いていたそうで、自身の体験に基づいて『孫子』に注を付けたものが『魏武注孫子』です。

曹操以外にも『孫子』に注を付けた人物は中国史上に何人もいまして、その主要な十一種類を修正したものが「十一家注孫子」で、『孫子』を読む場合にはこれがベースになっています。現代中国でも「十一家注孫子」は刊行されていまして、二枚目の写真にあるように、あたしは二種類を架蔵しています。

ところで「三国志」ファンなら、「曹操孫子に注を付けたくらいなら、諸葛孔明だって孫子に注を付けていなかったのかしら?」と思うのではないでしょうか。あたしもそう思ったことがありました。劉備と出会う前にいくらでも時間はあったと思います。でも、劉備軍に加わってからはそんな時間は取れなかったでしょう。実践を踏まえて若いころに書いた孫子注を修正しようと考えていたとしても、それは果たせなかったでしょうね。