罔殆庵

染井吉野ナンシーの官能世界

北京−都市の記憶−

『北京−都市の記憶−』読了。

言ってみれば歴史的な名所を中心とした北京のガイドブックです。いわゆる本屋の旅行ガイドブックのコーナーにある本と比べると、カラーじゃないし、取り上げたのは公園とか博物館などばかりだし、入場料や開園時間も書いてないし、って感じなんですが、そのぶん歴史的な蘊蓄は充実しています。

否、歴史的蘊蓄だけを比較するなら、もっと詳しい読み物はありますが、本書は新書ですからこのくらいで我慢しないとならないでしょう。それでももう少し扱う施設を少なくして一つ一つの記述を増やしてもいいんじゃないかと思える部分もありました。

本書を読むのはどんな人か? これから北京へ旅行に行こうという人が買う本じゃないですよね。やはり既に何回か北京へ行っていて、本書で取り上げられた場所の数か所は訪れたことがある、という人が主たる読者ではないでしょうか? 岩波新書という性格上、若い人よりはやや年配の方になりますかね?

というわけで、北京をある程度知っている人が読者の大多数を占めると思われますが、もう少し北京の詳しい地図が欲しいところです。かなり細かいところまで文書を示しているのに、何枚か挿入されている地図が貧弱なので、あの程度の地図ならなくても構わないくらいです。

それと、やはり惜しむらくは著者の年齢。

著者の年齢ですと、知識などを一番吸収できる年代に中国へ行くことはできなかったと思われます。そうなると、やはり改革開放後の北京について書くことが主となり、古き良き時代は文革の余韻冷めやらぬ頃には多少は感じられたでしょうけど、本当の古き良き時代を知る世代ではありません。

結局、歴史を訪ねたときの記述も、本当にそれを見て味わった戦前派の著作に比べるとリアルな味わいが少なく、あたしのように中国史を勉強していた人間には「何かの本で読んだことある」というところが見られる本になってしまっています。もう少しマスコミの特派員的に、とにかく歩き回って民衆の中に入っていって体験し感じたことを書いてもよかったのではないかと思います。

二月の花


『二月の花』読了。

以前に読んだ『雲上的少女』が高校生の青春を描いたのなら、この作品は大学生の生活を綴ったものです。ただ、『雲上的少女』が北京を舞台にした、まさに「イマドキ」の高校生の物語、極論すれば舞台を東京だと言っても通じるような物語だったのに対し、本書は広州が舞台で、飛び級で入学した「おくて」の大学生の話です。

『雲上的少女』の主人公は大人から見ればいわゆる不良と呼べるような少女でで、ケータイ片手に放課後は友達と遊び回り、それなりにお金も持っています。一方『二月の花』の主人公は広州へ出てきた地方育ちのピュアな少女、家庭環境も厳格な教育者の両親で、趣味は読書名優等生、それこそ真面目を絵に描いたような生徒です。もちろん、男女交際などもってのほか、という対照を見せています。

この手のおくての真面目ちゃんが主人公の小説ですから、ある意味、もう一人の主役はその主人公に影響を与える不良の生徒で、世間知らずな主人公は知らないうちにどんどんその不良に惹かれていって、ゆっくりと大人への階段を上っていくという寸法です。

ただ、この小説の場合、ではその主人公は不良の友達とのつきあいを通じて大人になれたのだろうか、その不良の呪縛から解き放たれて本当の大人の女性になったのだろうかというと、結局なりきれていないような漢字で作品は終わっています。10年経ってもいまだにその友人の影響下にいる主人公の回想が、この小説の枠組みとなっていますが、一昔前なら、日本にもこういう女の子って大学でもかなり多かったんではないかと思います。(今も少数とはいえいるのでしょうけど…)

日本の作家なら、たぶん、この不良の友人やその男友達、主人公のルームメイトを主人公にして、別な角度からの物語を作って、オムニバス的な作品に仕立て上げるところではないでしょうか? それはそれで面白いと思いますね。

残念なのは、大学生のことを描いていながら、実際の主人公の大学生活、学生らしい部分の描写が少ないところです。ただ、それでも地方から都会へ出てきている中国の若者の漠然とした不安や焦りは痛いほど伝わってきます。

なぜ中国人は日本人にケンカを売るのか


『なぜ中国人は日本人にケンカを売るのか』読了。

なんとなく莫邦富さんのエッセイを思わせるところもありますが、莫さんの方がもっとギラギラとした感じを受け、こちらはさすがに孔子の直系の子孫だけあって、もう少し穏やかで優雅な感じがあります。

日本人に対しもっと中国のこと、そして中国人のことを知って欲しいと言う、同じ強さで中国人に対してもっと日本人のことを知らないと、と注意を促しているところは公平な感じを受けます。

ただ前にも書きましたが、こういった中国人に対する意見、提言ってものが、中国の人々、特に憤青と呼ばれるような若者たちにどれほど届くのでしょうか? そもそも、例えばこの本を翻訳して中国で出版することは可能なのでしょうか?

この手の本を読むと、常にそういうことを考えてしまいます。

でも、欧米が求めるような民主化を、今の中国に頭ごなしに求めるのは、やはりあたしも混乱の方が大きく、あれだけの大きな国、国土も人口も桁違いで、なおかつ経済格差も桁違いな国ですから、ある程度の中央の強権的な指導がないと空中分解するのではないかとも思います。

著者が、そのような意味で、胡錦涛主席の斬新的な改革に期待を寄せているのは理解できます。

中国汚染――「公害大陸」の環境報告


『中国汚染――「公害大陸」の環境報告』読了。

このところ新書で中国の環境問題に関する著作が何冊か続けざまに刊行されましたが、本書の場合、環境や公害問題の専門家が中国の事例にアプローチすると言うよりも、もとから中国の環境問題に関心を持って研究をしてきた方が著者であるというのが特色ではないかと思います。

なので、中国の公害問題を一方的に非難するのではなく、深く愛情を持って、どうしたら改善できるのか、対策を講じることができるのか解いた問題を丁寧に解説してくれています。ともすれば中国の言うことは当てにならない、といった感情論に走りがちな中国問題で、著者はかなり冷静に、そして各種データも慎重に吟味して利用しています。

なにより、実際に中国の現場を歩き、現地の研究者や実際に公害問題、環境問題の最前線で奮闘している人と直に交流して経験を深めていっているので、その言説には説得力が感じられます。

そして、昨今の公害問題、環境問題は日中(韓)が手を携え、お互いがお互いの経験を交流し合って、少しでも今よりよい方向に持って行こうという、ぶれることのない著者の主張がすがすがしく感じられます。

評伝川島芳子


『評伝川島芳子』読了。

著者は東大の修士を出たシンガーソングライターだそうですが、まだ若いのにずいぶんとよく調べています。コンパクトな新書ではありますが、四十年の川島芳子の一生を丹念に折っています。

男装の麗人、東洋のマタハリ、中国人民の裏切り者などなど、川島芳子を形容する言葉はいろいろあります。が、どれも当時あるいは後世の小説などによる「川島芳子」であって、実際の川島芳子はどこまで中国を裏切ったのか、スパイとして暗躍したのか、実のところかなり疑わしいものです。

ですので、史実を丹念に折った本書を読めば、確かに軍人などとの接触はあるものの、謀略工作の真っ只中で男顔負けのスパイ活動をしていたような記述は皆無で、そういう向きを期待して読むと非常につまらない作品かもしれません。

しかし、後世の脚色をはぎ取ってみると歴史上の人物なんてものは、この程度の人物だったなんてことが多いのでしょう。

ところで、本書を読むような人は、清末から民国期の中国近代史や日本近代史をそれなりに理解している人が多いと思いますが、本書の記述が川島芳子の人生に絞っているぶん、そういうバックグラウンドとなる当時の政治状況などの記述がほぼありませんので、ダイナミックな時代の流れの中で川島芳子を位置づけるという面では、ちょっともの足りです。また巻頭に清朝公室の家系図が載っていますが、旧満洲を中心とした地図も一枚くらいは欲しかったところです。

秋瑾 火焔の女


『秋瑾 火焔の女』読了。

本屋では結構売れてるみたいですね、この本。でも、売れてる理由がわかりません。

とりあえず中国近代の革命の志士、女性革命家として、その凛とした美しい肖像が鮮烈な印象を与える秋瑾の読みやすい評伝が出たことはうれしいことです。

ただ本書の場合、評伝と言うよりはかなり小説じみていますが……

むしろ問題なのは著者の中国に関する知識です。

歴史的な事実誤認があります。曹植曹丕の弟であって曹操の弟ではありません。これはタイプミス、イージーミスというレベルのものではないので、著者の力量が根本的に疑われます。

それに人名などの固有名詞に振るルビが中国語読みと日本語読みがごっちゃで統一されていません。どういう基準で日本語読みと中国語読みに分けているのかも定かではありません。

なおかつ、日本語読みのルビもおかしなところがありますし、中国語読みのルビの場合、基本的には普通話と呼ばれる標準語の発音で振っていると思いますが、それもどう考えても間違っているとしか思えないルビが散見します。

著者の方、中国モノを書いていると奥付にありますが、果たして中国語が堪能なのか、少なくとも向こう(中国)の文献を読みこなせているのか、非常に疑問を感じてしまいます。

こういう、ごくごく基本的なことで疑問を感じてしまうと、せっかく読みやすい物語なのに、どうも素直に気持ちよく読めないのが残念です。

それとも、これらはすべてあたしの勘違いなのでしょうか?



やはり秋瑾なら、泰淳の『秋風秋雨人を愁殺す』でしょうか? あるいは先日読んだ『コオロギと革命の中国』の方がよいのかもしれません。

「中国問題」の内幕


『「中国問題」の内幕』読了。


中国政治のこの数年、ほんの一、二年の動きをわかりやすく丁寧に解説してくれています。さすが長年の中国特派員として現場で取材を続けてきた著者ならではです。

中国の動き、それが民衆のものであれ、政治世界のものであれ、経済化のことであれ、どうしてもトップの権力闘争の影響を免れないものであるのは承知していますが、では具体的にどんな動きが裏で起こっていたのかとなると、暗中模索どころか、五里霧中、あたしなどには全くわかりません。

本書では、あくまで著者の推論と断わりながらも、胡錦涛を代表とする共青団江沢民らの上海派、そして太子党という三派の動きを基本軸に流れをとらえています。

全体的に共青団が中国古代史に登場した「清流」のような好印象をもって描かれている感もありますが、そんなきれいなものではないことは歴史上の「清流」も同じこと。やはり官場は清濁併せ呑むようでないと渡っていけないのでしょう。

日本から見ると、歴史問題を主張し愛国教育を奨励した江沢民が悪玉で、胡錦涛は善玉的なイメージもありますが、胡錦涛の時代になってむしろメディア規制は強まっていたり、胡錦涛もかつてはチベット問題を鎮圧したりという面があるわけですから、あの国の指導者はやはり皆一筋縄ではいきませんね。